障害の見方を変える!私が障害を受け入れるまで

  • 2015/06/26

私は右手の指が短く、右の大胸筋がないです。初めて会う人には障害を持っているとほとんど気づかれないことが多いです。軽度の障害ですが、周りの人とは何処か違う自分の身体に傷つくことはたくさんありました。障害を受け入れることは私にとってとても難しいことでした。けれど、少し考え方を変えるだけで、私にとってマイナスだった障害がプラスに変わりました。私の体験や考え方を交えて、少しでも障害に悩む方の参考になればと思い、障害の受容についてお話します。

まず、フィンクの危機理論ってご存知ですか?主に急性期の看護で使われる理論で、急激に危機に陥った人が辿るだろう経過を4段階(衝撃→防御的退行→承認→適応)で表したものです。私がたどった障害を受け入れるまでの経過が当てはまるので、今回はフィンクの危機理論に沿って書かせていただきます。

衝撃の段階

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みなさんは小・中学生の時、体育や音楽は好きでしたか?私は大嫌いでした。音楽でリコーダーをやりますよね。私の右手の指は短いので一番下の穴はぎりぎり届くかというぐらいでした。だからリコーダーの演奏は苦手で下手でした。演奏するたび、周りと自分との違いを実感しました。音楽や体育は普段は感じない周りの人との違いを見せ付けられるもので障害を大きく感じさせられました。

防御的退行の段階

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衝撃を受けてからは、自分には障害がある、周りとは違うという意識がずっと心の中にありました。消極的になり、障害のことで傷つくことが怖くなり、なにかにつけて諦めやすくなりました。習い事がほかに人みたいに上手く出来ず、障害を理由に諦めたこともあります。障害を人に見られることが怖くなり、極力見せないようにしていました。中3~高2あたりの多感なお年頃のときは自分自身にも嫌悪感を持つこともありました。この時期は障害に対してのネガティブな感情が大きく、目を問題に目を背け、自分に対して保守的でした。

承認の段階

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この段階が私に来たのは高校2年の時でした。その時の私は進路に悩んでいました。まだ自分の障害にネガティブな感情があり、どの方面の大学に行ったら自分でも大丈夫か?など不安でいっぱいで悩みました。そこで、自分の障害について調べることにしました。自分の障害の概要を知ると同時に、同じ障害を持ち、同じような悩みを持つ人が多くいることを知り、「私だけじゃない」「私の持っている悩みは当たり前」と考えられるようになりました。

適応の段階

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自分の障害について調べた時に、これだけ多くの自分と同じ障害を持ち悩む人が居るのかと驚きました。そして、このまま無難な進路を選んで、就職してしまうのは損じゃないのか?あれだけ悩んだのだし、苦しい経験もしたのだからこの経験を活用しないともったいない。障害に悩む人たちの手助けになりたいと考え、看護を目指すことに決めました。

今、私は大学に通い、看護の勉強をしています。やはり、障害のある右手での作業が難しいものもあります。けれど、障害があるからこそ見える視点や感じ取れる気持ちがあり、障害を自分を構成する要素の一つ、自分だけのものだと思えるようになりました。

障害を活かそう!という、今までマイナスにしか捉えていなかったものをプラスに、自分の武器にして私は看護師を目指しています。あれだけ嫌だった障害が、今ではあってよかったと思っています。障害の考え方、捉え方は一つではありません、少し見方を変えるだけで変わるのだと思います。

 


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この記事の著者

森友香里

森友香里

ポーランド症候群で右大胸筋の欠損と右手の合短指症で生まれました。現在は大学で看護を勉強中です。

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